日産自動車

日産自動車が設立されたのは1933年。鉱山の経営などで財を蓄えた新興財閥・日産コンツェルンを率いた鮎川義介氏が、国産自動車工業の確立を目指し、1935年に横浜で乗用車の大量一貫生産を開始した。

戦後の混乱期を経て、1966年に大衆車の「サニー」を発売、プリンス自動車工業との合併もあって、1967年度にはシェアを30・2%に伸ばし、首位のトヨタ自動車と4ポイント差にまで肉薄した。

バブル期の1988年には、高級乗用車「シーマ」が1か月余で5373台の販売を記録し、「シーマ現象」という流行語まで生むなど、1980年代までは、右肩上がりの日本経済と歩調を合わせるように、トヨタとの“2強時代”を築き、業界での地位を不動のものとした。

しかし、トヨタ追撃を意識した拡大路線が、逆に日産の企業体力の弱体化につながった。日本国内の販売台数ではトヨタの半分の規模ながら、トヨタに匹敵する約50車種を抱え、部品メーカーなど関係会社の数もトヨタ並みに抱えるなど、“水ぶくれ”した経営は、バブル後の自動車市場の低迷で痛撃された。

欧州には日本メーカーで1番乗り、アメリカでも本田技研工業に次いで2番手として単独の現地生産工場を立ち上げたが、北米事業は不振を極めるなど、積極的な海外展開が裏目に出たことも足を引っ張った。

1987年3月期に初の赤字決算に追い込まれた日産は、1990年代に入ってもRV(レジャー用多目的車)ブームに乗り遅れるなど、経営判断が後手に回り、販売シェアは20%台前半に低迷した。「伝統の技術至上主義が幅を利かせ、顧客本位の車作りにつながらなかった」(アナリスト)のもユーザーの心を捕らえられなかった理由とされる。

1995年、キャッチコピーを「変わらなきゃ」に変え、座間工場を閉鎖するなどのリストラに打って出たが、「大胆な跡地売却などは行われず、工場を閉鎖したほどのリストラ効果は現れていない」(他メーカー)状況だ。

首都圏の一等地を担保にした「含み資産経営」はバブル崩壊で行き詰まり、金融機関との株式持ち合いも、金融株が下落した1998年3月期に、約504億円の有価証券評価損が発生するなど、“日本的経営”の弱みが一気に噴き出した。

引用:https://toyota-m-brand.com/

参照:https://www.personac1.net/

日産自動車の歴史

年月 内容
1933年 「自動車製造」の名で横浜市に創立。初代社長に鮎川義介氏が就任
1934年 社名を「日産自動車」と改称。「ダットサン」をアジア、中南米などに向けて輸出開始
1935年 横浜工場で乗用車の一貫生産を開始
1949年 2000人の人員整理と賃金1割切り下げの提案を受け、組合の人員整理反対闘争が始まる。約2か月後に妥結
1950年 民生ディーゼル工業(現日産ディーゼル工業)に資本参加
1957年 興銀出身の川又克二社長が就任
1966年 初代「サニー」発売、本格的なマイカー時代の幕開けを担うプリンス自動車工業と合併、日本国内第2位のメーカーに
1968年 富士重工業と業務提携
1977年 石原俊社長が就任
1980年 アメリカの現地生産工場「米国日産製造」設立、1985年3月に「サニー」を現地生産
1982年 サファリラリー4年連続完全制覇。リッターカーの代表車種である「マーチ」を発売
1983年 創立50周年を記念してキャッチコピーを「もう走りはじめています21世紀へ-先進技術の日産」に
1984年 日本メーカーとして初の欧州現地生産工場「英国日産製造」設立
1985年 久米豊社長が就任
1988年 初代の「シーマ」を発売。「シーマ現象」という流行語が生まれる
1990年 アメリカの事業統括会社「北米日産会社」設立。生産累計5000万台を達成
1991年 キャッチコピーを「LIFE TOGETHER」にして、「技術」という言葉を外す
1992年 フォードとの共同事業による多目的車「クエスト」を米国で販売開始。辻義文社長が就任
1995年 キャッチコピーを「変わらなきゃ」に。座間工場を閉鎖。日本国内の乗用車生産工場の閉鎖は初めて
1996年 キャッチコピーを「変わらなきゃも変わらなきゃ」に変更。塙義一社長が就任
1997年 役員体制で専務制廃止を決定。役員全員が参加する経営戦略会議を設定。
1998年 3年間で連結有利子負債を1兆円圧縮する。構造改革計画「グローバル事業革新」を策定

日本の自動車メーカーと外資の提携の動き

年月 内容
1971年 三菱自動車に米クライスラーが資本参加(外資との資本提携第1号、 クライスラーは15%出資、1993年に解消)
いすゞと米GMが資本提携。GMがいすゞに34.2%資本参加を決定
1979年 東洋工業(現マツダ)に米フォードが25%出資して資本提携
1981年 GMが、鈴木自動車(現スズキ)に出資して出資比率を3.3%に
1983年 トヨタとGMが米での共同生産に調印、1984年から生産開始
1987年 独ダイムラー・ベンツと三菱自動車が日本でのベンツ車販売などで提携合意
1990年 本田が英ローバーに20%出資するなどして、資本提携(1994年に解消)
1991年 三菱自動車がスウェーデンのボルボとオランダで乗用車生産の合弁工場設立、1995年から生産開始
トヨタが独フォルクスワーゲンと日本国内での販売提携に合意
1992年 日産とフォードが米でミニバン生産
1996年 フォードがマツダへの出資比率を33.4%に引き上げ
1997年 三菱自動車とボルボが商用車でも提携
1998年 GMがスズキへの出資比率を10%に、いすゞへの出資比率を49%にすることで合意